「隣りのお坊さん」
卓話者:戸田 一誠 会員
戸田家が僧侶になったのは私の祖父の代からですが、その経緯が変わっていて、伝え聞いた所では祖父の兄が人を殺した際に家族の誰かを出家させれば罪を減ずるようなことがあり、弟である祖父がある意味身代わりとなって出家した、という事の様です。既に代を重ねていますので、もう僧籍を離れても問題無いと思いますが今に至っております。
昭和26年に妙福寺の筆頭末寺の住職であった父が妙福寺住職に「転勤」してまいりました。終戦後という事で、それまで30町ほどあった田畑は農地解放政策などで無くなり、加えて重代の什器宝物が持ち出されるという騒動もあり財政的には大変苦しい時期もありました。固定資産税の納税資金を確保するためテニスコート・保育園などの事業を行いましたが、「坊主丸儲け」と思われているように思います。
小学生の頃は、住職の息子=特権階級と思われていたようで、当時の左翼的な風潮を背景にいじめられることも多々ありました。成人してからも僧職は性に合わないと思い辞めたかったのですが、寺の改装工事中で中途半端には辞められませんでした。その後も各種工事が続きましていつまでもキリが無いので、65歳を定年としてきっぱりと辞めました。
本日の卓話は、日本橋倶楽部にて「お布施はいくら位出すべきか?」という雑談を切っ掛けに行った同クラブでの卓話が基になっています。1時間を30分に短縮して喋ると何をどうするか混乱してしまい、下らない話が増々輪をかけて皆さんにご迷惑を掛けました。多謝。
卓話公開日 2024年 11月11日